2004年 12月 07日
「横浜会議2004」−なぜ、国際展か?− にて |
2004年12月4日、BankART1929 YOKOHAMA にて多摩美術大学美術学部芸術学科建畠ゼミのカリキュラムの一環として学生が中心となり企画、運営された「横浜会議2004」−なぜ、国際展か?−というシンポジウムが開催され参加してきました。

(上画像左から岡部あおみさん、長谷川祐子さん、北川フラムさん、南條史生さん、磯崎新さん)
■開催主旨とは?
建畠ゼミにて、今日の美術が大規模な国際展に主導権を握られているような現状もあるということから、改めて国際展というものがどのような目的をもって、どのようなキュレーションによって組織されているか討議する場を設けたいと思ったのが開催のきっかけのようです。
そして、そのために国際展の芸術監督およびその現状に詳しい方5名に、自ら関わった国際展のレポートをしていただき、国際展の開催の意義やキュレーションの方法、今後の展望について討議していただくとともに、それらについて参加者皆で考える機会にしたいと思ったため、今回のシンポジウムを開催されたそうです。
■5名のパネリスト
まず、岡部あおみさん、長谷川祐子さん、北川フラムさん、南條史生さん、磯崎新さんといった5名のパネリストが自己紹介も兼ね、それぞれが関わってきた国際展についてお話されました。(*5名については下記詳細有り)
中でも、第2回横浜トリエンナーレのディレクターである磯崎さんはその構想を以下のおようにお話され、広報チーム「はまことり」としては大変興味深いものであったので、詳細をお伝えします。
■磯崎新氏の横浜トリエンナーレ2005の構想
まず、過去の国際展の在り方と社会の関係性を具体例を上げながらお話され、現在においての構造は、ディーラーが国際展後行われるアートフェアで得をするようになっており、アートを商品として見ているのではないかと提示されました。
よって横浜トリエンナーレ2005を世界レベルの国際展にするには根本な構造を変える必要があり、とにかく国ベースでなく、キュレーターがアーティストを選ばないようなものにしないといけないとのことでした。そして考え出されたのは、世界の美術財団と建築家とアーティストのコラボレーションというものでした。
財団の数は最初約150団体ピックアップし、そのうち50団体に絞り声をかけたそうです。そして、それぞれの財団がキュレーターの変わりとなってアーティストを紹介するとともに、そこへ建築家を交えたコラボレーションを展開するとのことでした。三者の組み合わせにおいて特に意識したことは、なるべく違う国同士で組み合わさるようにということで、磯崎さんは世界国家という言葉を「Inter National」でなく、あえて「World Atlas 」という表現にされたとからも、そのことへの思い入れの強さが伝わります。
そして、それらの具体案を紹介されたのですが、残念なことにその完成は2005年秋までには間に合わないとのことでした。
■どうなる!? 横浜トリエンナーレ2005!!
ということで、「これからどうするべきか」パネリスト5名で討論される中、急遽、磯崎さんの第2案の発表が始まりました。
こちらは「IMAGINE or Imaginaire de L'homme」というタイトルで、6つの「テマティック・アイコン」をテーマにしたもので、要はアイコンにコンセプトをつけてコンセプチュアライザーが表現していくというものです。例えば、アイコンが「ゴジラ」でコンセプトが「キャラ」でコンセプチュアライザーが「島田雅彦と蔡國強」といった感じで、いかにも集客数が高くなりそうな企画で、やはりそれが目的のようでした。つまり、動員数をあらかじめ100万人と予測することで運営資金を高く見積もることができ、黒字でトリエンナーレを決行できる緊急企画だったのです。
しかし、残念ながらこの案について横浜市から磯崎さんへは間接的に「却下」というお知らせがきたそうです。
こうして、磯崎さんの案は二つとも、実現化が厳しい状況になってしまいました。
以上のことから、またしても、「これからどうするべきか」ということになりました。ある方は、「すでに一年遅れとなってしまっているのだから、どうせなら、もう一年延ばし、世界レベルに匹敵する大規模な国際展にしようじゃないか」とのことでした。
また、ある方は現実的に考えて、「そうは言っても来年開催されるものとして現在多くの人や金が動いている中、延期は無理だからなんとかしてやるしかないのでは」とのことでした。そのための案の一つとして、世界中のキュレーターの中から数名ピックアップし、最小の人数で最大限の力を発揮したらできなくはない、という意見もありました。
そして、こういった中、「そもそも横浜市はトリエンナーレについてどのように考えているのだろうか」という声も出てきました。というのも、先ほど磯崎さんに「日本を越えたものにして欲しい」とおっしゃったよう、本当に世界レベルに匹敵する国際展を考えているなら、磯崎さんにディレクターを依頼する時期があまりに遅すぎたのではなかったのかなど根本的なところにいくつか疑問点があげられたからです。
■横浜トリエンナーレ2005周辺企画の広報チームとして
今回のシンポジウムは、当初のゼミの主旨を飛び越えた、横浜トリエンナーレ2005をめぐっての様々な意見の飛び交いや知られざる事実の発覚の場となり、「はまことり」としてただごとならぬ出来事となってしまいました。
とにかく私たち自身は横浜トリエンナーレ2005をきっかけにアートを楽しむ企画をせっかく準備しているので、これからの展開には目を離せません!(ドイ)
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「横浜会議2004」−なぜ、国際展か?−
日時:2004年12月4日 18:00〜
会場:BankART1929 YOKOHAMA
主催:多摩美術大学美術学部芸術学科建畠ゼミ
参加パネリスト:
・岡部あおみ(美術評論家、武蔵野美術大学教授、国際交流基金国際展事業委員会委員):パリ・ジョルジュ・ポンピドゥー・センター「国際美術映像ビエンナーレ」審査員(1990、92年)など
・長谷川祐子(キュレーター、金沢21世美術館学芸課長):第7回イスタンブールビエンナーレ総合コミッショナーなど
・北川フラム(アートディレクター、アートフロントギャラリー代表):越後妻有トリエンナーレ総合ディレクターなど
・南條史生(森美術館副館長、美術評論家、インディペンデントキュレーター):第1回横浜トリエンナーレ・アーティスティックディレクターなど
・磯崎新(建築家、磯崎新アトリエ代表):第2回横浜トリエンナーレディレクターなど
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■開催主旨とは?
建畠ゼミにて、今日の美術が大規模な国際展に主導権を握られているような現状もあるということから、改めて国際展というものがどのような目的をもって、どのようなキュレーションによって組織されているか討議する場を設けたいと思ったのが開催のきっかけのようです。
そして、そのために国際展の芸術監督およびその現状に詳しい方5名に、自ら関わった国際展のレポートをしていただき、国際展の開催の意義やキュレーションの方法、今後の展望について討議していただくとともに、それらについて参加者皆で考える機会にしたいと思ったため、今回のシンポジウムを開催されたそうです。
■5名のパネリスト
まず、岡部あおみさん、長谷川祐子さん、北川フラムさん、南條史生さん、磯崎新さんといった5名のパネリストが自己紹介も兼ね、それぞれが関わってきた国際展についてお話されました。(*5名については下記詳細有り)
中でも、第2回横浜トリエンナーレのディレクターである磯崎さんはその構想を以下のおようにお話され、広報チーム「はまことり」としては大変興味深いものであったので、詳細をお伝えします。
■磯崎新氏の横浜トリエンナーレ2005の構想
まず、過去の国際展の在り方と社会の関係性を具体例を上げながらお話され、現在においての構造は、ディーラーが国際展後行われるアートフェアで得をするようになっており、アートを商品として見ているのではないかと提示されました。よって横浜トリエンナーレ2005を世界レベルの国際展にするには根本な構造を変える必要があり、とにかく国ベースでなく、キュレーターがアーティストを選ばないようなものにしないといけないとのことでした。そして考え出されたのは、世界の美術財団と建築家とアーティストのコラボレーションというものでした。
財団の数は最初約150団体ピックアップし、そのうち50団体に絞り声をかけたそうです。そして、それぞれの財団がキュレーターの変わりとなってアーティストを紹介するとともに、そこへ建築家を交えたコラボレーションを展開するとのことでした。三者の組み合わせにおいて特に意識したことは、なるべく違う国同士で組み合わさるようにということで、磯崎さんは世界国家という言葉を「Inter National」でなく、あえて「World Atlas 」という表現にされたとからも、そのことへの思い入れの強さが伝わります。
そして、それらの具体案を紹介されたのですが、残念なことにその完成は2005年秋までには間に合わないとのことでした。
■どうなる!? 横浜トリエンナーレ2005!!
ということで、「これからどうするべきか」パネリスト5名で討論される中、急遽、磯崎さんの第2案の発表が始まりました。
こちらは「IMAGINE or Imaginaire de L'homme」というタイトルで、6つの「テマティック・アイコン」をテーマにしたもので、要はアイコンにコンセプトをつけてコンセプチュアライザーが表現していくというものです。例えば、アイコンが「ゴジラ」でコンセプトが「キャラ」でコンセプチュアライザーが「島田雅彦と蔡國強」といった感じで、いかにも集客数が高くなりそうな企画で、やはりそれが目的のようでした。つまり、動員数をあらかじめ100万人と予測することで運営資金を高く見積もることができ、黒字でトリエンナーレを決行できる緊急企画だったのです。
しかし、残念ながらこの案について横浜市から磯崎さんへは間接的に「却下」というお知らせがきたそうです。
こうして、磯崎さんの案は二つとも、実現化が厳しい状況になってしまいました。
以上のことから、またしても、「これからどうするべきか」ということになりました。ある方は、「すでに一年遅れとなってしまっているのだから、どうせなら、もう一年延ばし、世界レベルに匹敵する大規模な国際展にしようじゃないか」とのことでした。
また、ある方は現実的に考えて、「そうは言っても来年開催されるものとして現在多くの人や金が動いている中、延期は無理だからなんとかしてやるしかないのでは」とのことでした。そのための案の一つとして、世界中のキュレーターの中から数名ピックアップし、最小の人数で最大限の力を発揮したらできなくはない、という意見もありました。
そして、こういった中、「そもそも横浜市はトリエンナーレについてどのように考えているのだろうか」という声も出てきました。というのも、先ほど磯崎さんに「日本を越えたものにして欲しい」とおっしゃったよう、本当に世界レベルに匹敵する国際展を考えているなら、磯崎さんにディレクターを依頼する時期があまりに遅すぎたのではなかったのかなど根本的なところにいくつか疑問点があげられたからです。
■横浜トリエンナーレ2005周辺企画の広報チームとして
今回のシンポジウムは、当初のゼミの主旨を飛び越えた、横浜トリエンナーレ2005をめぐっての様々な意見の飛び交いや知られざる事実の発覚の場となり、「はまことり」としてただごとならぬ出来事となってしまいました。とにかく私たち自身は横浜トリエンナーレ2005をきっかけにアートを楽しむ企画をせっかく準備しているので、これからの展開には目を離せません!(ドイ)
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「横浜会議2004」−なぜ、国際展か?−
日時:2004年12月4日 18:00〜
会場:BankART1929 YOKOHAMA
主催:多摩美術大学美術学部芸術学科建畠ゼミ
参加パネリスト:
・岡部あおみ(美術評論家、武蔵野美術大学教授、国際交流基金国際展事業委員会委員):パリ・ジョルジュ・ポンピドゥー・センター「国際美術映像ビエンナーレ」審査員(1990、92年)など
・長谷川祐子(キュレーター、金沢21世美術館学芸課長):第7回イスタンブールビエンナーレ総合コミッショナーなど
・北川フラム(アートディレクター、アートフロントギャラリー代表):越後妻有トリエンナーレ総合ディレクターなど
・南條史生(森美術館副館長、美術評論家、インディペンデントキュレーター):第1回横浜トリエンナーレ・アーティスティックディレクターなど
・磯崎新(建築家、磯崎新アトリエ代表):第2回横浜トリエンナーレディレクターなど
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by hamatori
| 2004-12-07 20:36
| 横浜会議2004

