2004年 12月 15日
どうなる?どうする!「横浜トリエンナーレ2005」 −その②− |
その②では、横浜市文化芸術都市創造事業本部 創造都市推進課 担当課長 野田 邦弘さんより横浜トリエンナーレ2005の現在までの経緯の説明と「はまことり」や会場の皆さんからの質問に答えて頂いた内容を掲載します。
経緯の説明から、今回、ディレクターが磯崎新氏から川俣正氏へ交代されるまでの一連の流れを、横浜市側の視点から伺うことができます。
■これまでの経緯
まず、これまで横浜トリエンナー2005の情報を発表できなかったのは「発信できる情報がなかったから」とのことでした。なぜならば、下記のような、先行きが不明な現状だったからだそうです。
野田さんのお話によると、6月下旬に磯崎新さんがディレクターに就任し、9月に世界の美術財団と建築家とアーティストとのコラボレーションを30作る案を提案されたそうですが、海外の美術財団が7月半ばから9月中旬まで夏休みということで、漸くそれ以降、精力的に各国を周り交渉できたそうです。しかし、その結果参加の応えを出したのはわずか5つの財団のみで、11月中旬、磯崎氏はこの案の実現を断念されました。そして、磯崎氏は第2案を提案し、こちらは会場となる2つの倉庫をそれぞれ3つに区切って合計6つブロックを作り、それぞれに6つのテーマ(アイコン)を割り振り、コンセプチュアライザーが具体的なコンセプトに落としてアーティストが作品を作るというものでした。そして、6つのテレビ局をそれぞれにつけるというもので、予算が当初の倍かかるということからも、出資をテレビ局にもお願いしようと考えました。しかし、やはりこのご時世にテレビ局からの出資は厳しいということで、主催4団体が一致して「この案では無理」と確認し、こちらの案も実現不可能となってしまいました。
一連の流れの後、磯崎氏は横浜トリエンナーレ2005のディレクターを辞任し、現在、川俣正にディレクターにお願いすることになりました。
とにかく2005年秋に横浜トリエンナーレ2005を開催させる強い意志があるにも関わらず、先行き不明な情報ばかりだったため、市民の皆さんへお伝えできなかったとのことでした。
■質疑応答
Q1、本来、今年開催されるはずだったのに、なぜ遅れたのか?
A、
場所の確保ができなかったため。
前回は第1回だったため、終わってみないと次回、本当に開催できるか判断できず、場所の予約が第1回の終了直後になってしまった。しかし、その時パシフィコには既に他の予約が入っていた。
パシフィコにこだわったのは、1万㎡以上の場所を100日間使用できる建物が都心で他に無かったから。しかし、なんとか必死に変わりとなる他の場所を探し、漸く山下埠頭の市営上屋を押さえたが、やはり時間がかかってしまった。
Q2、来年必ず開催できるという根拠はどこにあるのか?
A、
根拠はありません。
しかし、開催させる気迫はある。
世界中の国際展を見ると半年で準備できているものもあるし、不可能なことはない。
勿論、質がおちないよう、次のディレクターにはようようお願いしてある。
また、これ以上遅らせることは、市民との約束違反であるし、国際的に大きな恥となってしまうから、必ず開催させる。
Q3、広報活動、情報公開が少ないのでは? (前回のトリエンナーレの情報を含め)
A、
広報活動においては新しいことをタイムリーにお伝えする精神でいる。
しかし、先ほど述べたよう、現時点では広報できる情報がない。
ちなみに、前回のトリエンナーレの情報においては何度か分けて公開した。
また、その時の開催概要、基本的な記録、アンケート結果などの報告書はある。
また、前回のことを現在あまり知ることができないのは、横浜市の前回の関係者が現在、トリエンナーレ担当部署に皆無であることも原因の一つである。よって、今後その役割を横浜市芸術文化振興財団に移行する予定である。
Q4、次回のテーマは何?
A、
主催者の一つである横浜市としては、横浜でやる意義を打ち出すことをテーマにし欲しいと考える。しかし、まずは新しいディレクターのもとに開催にあたってのチームを作り、その体制を立てることが先決。正式なテーマはその後。
Q5、世界的グレードを意識するとは?
A、
そもそも、横浜トリエンナーレとは国際交流基金も主催者である事業。つまり、国を代表する企画でもあるから、そこを意識しないといけない。
横浜市としても、国の内外に芸術創造の情報発信をしていく。そのためにはグレードの高いものが必要。
(ドイ)
経緯の説明から、今回、ディレクターが磯崎新氏から川俣正氏へ交代されるまでの一連の流れを、横浜市側の視点から伺うことができます。
■これまでの経緯
まず、これまで横浜トリエンナー2005の情報を発表できなかったのは「発信できる情報がなかったから」とのことでした。なぜならば、下記のような、先行きが不明な現状だったからだそうです。
野田さんのお話によると、6月下旬に磯崎新さんがディレクターに就任し、9月に世界の美術財団と建築家とアーティストとのコラボレーションを30作る案を提案されたそうですが、海外の美術財団が7月半ばから9月中旬まで夏休みということで、漸くそれ以降、精力的に各国を周り交渉できたそうです。しかし、その結果参加の応えを出したのはわずか5つの財団のみで、11月中旬、磯崎氏はこの案の実現を断念されました。そして、磯崎氏は第2案を提案し、こちらは会場となる2つの倉庫をそれぞれ3つに区切って合計6つブロックを作り、それぞれに6つのテーマ(アイコン)を割り振り、コンセプチュアライザーが具体的なコンセプトに落としてアーティストが作品を作るというものでした。そして、6つのテレビ局をそれぞれにつけるというもので、予算が当初の倍かかるということからも、出資をテレビ局にもお願いしようと考えました。しかし、やはりこのご時世にテレビ局からの出資は厳しいということで、主催4団体が一致して「この案では無理」と確認し、こちらの案も実現不可能となってしまいました。
一連の流れの後、磯崎氏は横浜トリエンナーレ2005のディレクターを辞任し、現在、川俣正にディレクターにお願いすることになりました。
とにかく2005年秋に横浜トリエンナーレ2005を開催させる強い意志があるにも関わらず、先行き不明な情報ばかりだったため、市民の皆さんへお伝えできなかったとのことでした。
■質疑応答
Q1、本来、今年開催されるはずだったのに、なぜ遅れたのか?
A、
場所の確保ができなかったため。
前回は第1回だったため、終わってみないと次回、本当に開催できるか判断できず、場所の予約が第1回の終了直後になってしまった。しかし、その時パシフィコには既に他の予約が入っていた。
パシフィコにこだわったのは、1万㎡以上の場所を100日間使用できる建物が都心で他に無かったから。しかし、なんとか必死に変わりとなる他の場所を探し、漸く山下埠頭の市営上屋を押さえたが、やはり時間がかかってしまった。
Q2、来年必ず開催できるという根拠はどこにあるのか?
A、
根拠はありません。
しかし、開催させる気迫はある。
世界中の国際展を見ると半年で準備できているものもあるし、不可能なことはない。
勿論、質がおちないよう、次のディレクターにはようようお願いしてある。
また、これ以上遅らせることは、市民との約束違反であるし、国際的に大きな恥となってしまうから、必ず開催させる。
Q3、広報活動、情報公開が少ないのでは? (前回のトリエンナーレの情報を含め)
A、
広報活動においては新しいことをタイムリーにお伝えする精神でいる。
しかし、先ほど述べたよう、現時点では広報できる情報がない。
ちなみに、前回のトリエンナーレの情報においては何度か分けて公開した。
また、その時の開催概要、基本的な記録、アンケート結果などの報告書はある。
また、前回のことを現在あまり知ることができないのは、横浜市の前回の関係者が現在、トリエンナーレ担当部署に皆無であることも原因の一つである。よって、今後その役割を横浜市芸術文化振興財団に移行する予定である。
Q4、次回のテーマは何?
A、
主催者の一つである横浜市としては、横浜でやる意義を打ち出すことをテーマにし欲しいと考える。しかし、まずは新しいディレクターのもとに開催にあたってのチームを作り、その体制を立てることが先決。正式なテーマはその後。
Q5、世界的グレードを意識するとは?
A、
そもそも、横浜トリエンナーレとは国際交流基金も主催者である事業。つまり、国を代表する企画でもあるから、そこを意識しないといけない。
横浜市としても、国の内外に芸術創造の情報発信をしていく。そのためにはグレードの高いものが必要。
(ドイ)
by hamatori
| 2004-12-15 01:06
| 2004年12月11日緊急!交流会

