2004年 12月 21日
横浜トリエンナーレ2001アーティスティックディレクター建畠晢さんインタビュー |
−2001年に記念すべき第1回目が開催された横浜トリエンナーレ。集客数35万人の記録を打ちたて、現代アートの祭典としては大規模な試みであったにも関わらず、前回の記録がなかなか一般の私たちの目には触れにくい。なんとか前回の様子をいろんな人の証言を元に知りたい。そんな思いから広報チーム「はまことり」では、第1回横浜トリエンナーレのアーティスティックディレクターを務められた建畠晢さんにインタビューに答えていただきました。−
(以下敬称略)
建畠晢【プロフィール】
早稲田大学文学部卒業後、国立国際美術館研究官 (1976−91年) を経て、1991年よ
り多摩美術大学教授。現在、現代美術の評論活動のほか詩人としての活動も多い。展覧会企画では、「絵画の嵐・1950年代」展(1985年/国立国際美術館)、「ドローイングの現在」展(1989年/同)、「インド現代美術」展(1998年/国際交流基金フォーラム)などのキュレーターを務める。その他、第44回(1990年)、第45回(1993年)ヴェニス・ビエンナーレの日本コミッショナーほか多くの国内外展に参画。著書に評論集『問いなき回答』(1998年)、詩集『余白のランナー』(1991年)など。横浜トリエンナーレ2001においてはアーティスティックディレクターを務めた。
Q:横浜トリエンナーレ2001開催の経緯を教えてください。
建畠:世界でベニス、サンパウロ、アジア各地において、国際的なアート展が行われるなか日本でも国際展を開催しようという議論はたびたび起きていました。1998年、国際交流基金に6〜7名による小規模な研究会が結成され、1年間かけてリサーチを行いました。その研究会のメンバーとして私は当初からトリエンナーレ開催に関わることとなりました。
その後、国際交流基金の予算請求により、99年より候補地のリサーチが具体的に検討され始めました。
まず、日本で国際展を行うにあたって
1.国際的な責務
2.アート自体の活性化
の2つの理由があげられました。
日本は様々な国際展に参加してきています。しかし、それは結局他人の土俵です。日本からも発信する拠点を持つべきである、ということ。そして日本の美術をもっと活性化させる必要があるということです。1.と2は密接に結びついています。国際展は大勢のアーティストが参加します。ですから、広い場所を確保する必要がありました。各自治体からプロポーザルを受け、検討した結果、横浜市が一番現実的実現可能でした。こうして場所はかなり早い段階で横浜市に決定しました。主催は、国際交流基金、横浜市、NHK、朝日新聞。アーティスティックディレクター4人によって運営されることになりました。その時点で問題となったのは、「現代美術は人が入らない」ということです。今まででもアンディー・ウォーホール展の10万人が過去最高の数値です。かねてより私は国際展は、市民をアートにおいて啓発し、巻き込むことによって社会的求心力を持つことが絶対条件だと考えていました。当時、なんの根拠もなかったのですが、スケールメリットがあるから、絶対に人は入るんだということを繰り返し言い続けていました。会議を通じて20万人を目標とすることにしました。国際展は単なるアートではなく、科学、市民、他のジャンルを総合的に巻き込むことにしたい、という考えから「メガ・ウェーブ〜新たな総合に向けて」というなんとも分かるような分からないようなテーマに設定しました。また、折角アジアでやるのだから、アジアのアーティストを多く起用しようと考え、私が選んだアーティストは3分の2まではアジアのアーティストとなりました。補足として付け足すと、アジアの作家で、アジア以外に在住している作家ということを特に意識しました。
Q:国際展の使命とは?
建畠:定期的に開催される国際展であるからには、「カッティングエッジ」(最先端)であることは絶対です。そうでなかったら、定期的に国際展を催す必要はないと私は思っています。当時テーマを持つべきかどうかという議論がありましたが、私はノーコンセプトであることがテーマだということをかなり強く主張しました。カッティングエッジを強調し、アートという枠を超えた総合的な方向性を強く目指したかったということがあります。
Q当時開始直後にテロが起こりました。会期中にテロに関する作品を創るという話はなかったのですか?
建畠:テロは横浜トリエンナーレが開始した直後に起こりました。ですが、私は特にテロに関連した作品を作家に作ってもらうということは考えませんでした。しかし、テロに関連して、アーティストの時代を予見する力を間近に感じるエピソードはありました。アートは時代を予見することがあるということは時折耳にすることがあります。私自身そういったことは実際にあるんだと感じています。が、それは決して絶望に陥れるだけのことではない。アートは確かに、醜い現実の側面を暴いたり、この世の矛盾を表現するようなネガティブなものもありますが、私はどこか希望がないと、と思っています。
Q:アート・社会との繋がりに関して。
建畠:現在、アートの世界では、「芸術のための芸術」という考えが主流を占めているようなところがあります。歴史上で、芸術はいつも宗教や権力に結びついて発展してきました。それが近代に大きく転換し、「芸術のための芸術」という動きが主流を占めるようになりました。その転換によって、芸術はより純粋化したともいえます。しかし逆説的にアートは社会的効力を失いました。どういうことかというと、今まで教会、権力に結びついて存在したアートには根拠がある。しかし、ゴッホやセザンヌのように、単なるリンゴ、単なる妻の肖像を描くことには根拠はありません。しかし、芸術は社会の中にあるのだから、社会と渡り合う必要があるんです。美術館では芸術のための芸術は○です。しかし、それを国際展でやることは×です。そもそも優れたアートには時代の本質を捉える力があります。アーティストは誰よりも敏感に察知する力を持っているんです。アートが社会性を持つということは、アートをいう枠を飛び出し他の事象を結びついていく総合性が必要だと思います。横浜トリエンナーレはそのことが現実的に実現可能だと感じました。私は、世の中は前提として絶望だと感じることがあります。しかし、アートには救い、生きる力を与えるといった力があると思ってます。今、世の中は原理主義的考えかたによって他者の考えを受け入れないようなところがあります。
しかし、アートはコミュニケーションの手段。違う宗教、思想を持った人が一つの作品を見て、「美しい」と感じることができる。もちろん、それがアートのすべてとは感じません。もう少しいうと、私は国際展が主流の現状の流れに対しては否定的です。オールオアナッシングではないんです。静謐な部屋で向き合うような作品は国際展には向きません。国際展ではアーティストの作品が非常に限られてきます。一発勝負になってしまいます。現状は国際展が非常に重視されるようになっていますが、美術館の展示と国際展また、市民によるささやかな展覧会は共存可能だと感じています。国際展だけがすべてを決めてしまうような現在の流れは行き過ぎだと感じています。
Q:前回の観客動員数35万人という結果に対して
建畠:第1回目の35万人という結果に、「現代美術が受け入れられた」という人がいます。しかし、私はそれは違うと思う。35万人訪れた人が現代アートに興味を持ったから来たのではなくフェスティバルに来たんです。もちろん、その中の何人かが横浜トリエンナーレに来たことによって、現代アートに興味を持ったということはあるでしょう。それから、アーティストがボランティアと一緒になって作品を創ることによって刺激を受けたということはあるでしょう。しかし、それはやはり現代美術が即受け入れられたという結論には結びつかないと思います。それとは別に、継続してやっていくことは必要だと考えています。国際展が定期的に開催されるイコール時代の証明が蓄積されていくことだということです。たとえば、その当時、何が美しいと思われていたかというような美的感受性などが時代を反映する大きな蓄積だと考えるからです。
Q:横浜トリエンナーレの今後に期待すること。
建畠:まず、最大の条件は、誰がやることになろうと「カッティングエッジ」であることは絶対にはずせない。私は、いくつか国際展で美術館的な発想の企画展を見たことがありますが、それならこんな水膨れしたような規模でやるべきではないと、非常な反発を覚えました。 国際展は時代の最先端を紹介する使命があるんです。
それから、国際的な動向も含めて対話・交流の場になってほしいですね。
トリエンナーレは準備期間も含めて、非常に人を呼ぶ求心力があるんですから。
(感想)
広報チーム「はまことり」に今年9月から参加したものの、横浜トリエンナーレ2001を見逃した私にとって、当時の記録からたどる横浜トリエンナーレ2001はいつもぼんやりと遠い存在でした。横浜トリエンナーレ2001はその規模、集客数からいっても、相当大規模なアートの祭典であったんだということだけは、分かります。当時横浜で一体何が起こったか?関係者は何を感じ何を思ったか?終わってみて一体どういう動きがあったのか?輪郭をつかめないままに広報活動をしてきた私は、次第に当時の関係者に会って生の声を聞きたいと思うようなりました。
そんなとき、ふと、昨年、森美術館で行われたパブリックプログラムでコメンテーターを務められていた建畠晢さんが頭にうかびました。建畠晢さんは横浜トリエンナーレ2001でアーティスティックディレクターを務めました。そこで思い切って取材をお願いしたところ、快く快諾していただいたことから今回のインタビューが実現しました。
この日は、BankART1929にて多摩美術大学芸術学科建畠ゼミにより 催された『横浜会議2004−なぜ国際展か?-』シンポジウムの前のお忙しい時間を縫って建畠さんはインタビューに長時間にわたって答えていただきました。
本当にありがとうございました!(かねこ)
(以下敬称略)建畠晢【プロフィール】
早稲田大学文学部卒業後、国立国際美術館研究官 (1976−91年) を経て、1991年よ
り多摩美術大学教授。現在、現代美術の評論活動のほか詩人としての活動も多い。展覧会企画では、「絵画の嵐・1950年代」展(1985年/国立国際美術館)、「ドローイングの現在」展(1989年/同)、「インド現代美術」展(1998年/国際交流基金フォーラム)などのキュレーターを務める。その他、第44回(1990年)、第45回(1993年)ヴェニス・ビエンナーレの日本コミッショナーほか多くの国内外展に参画。著書に評論集『問いなき回答』(1998年)、詩集『余白のランナー』(1991年)など。横浜トリエンナーレ2001においてはアーティスティックディレクターを務めた。
Q:横浜トリエンナーレ2001開催の経緯を教えてください。
建畠:世界でベニス、サンパウロ、アジア各地において、国際的なアート展が行われるなか日本でも国際展を開催しようという議論はたびたび起きていました。1998年、国際交流基金に6〜7名による小規模な研究会が結成され、1年間かけてリサーチを行いました。その研究会のメンバーとして私は当初からトリエンナーレ開催に関わることとなりました。
その後、国際交流基金の予算請求により、99年より候補地のリサーチが具体的に検討され始めました。
まず、日本で国際展を行うにあたって
1.国際的な責務
2.アート自体の活性化
の2つの理由があげられました。
日本は様々な国際展に参加してきています。しかし、それは結局他人の土俵です。日本からも発信する拠点を持つべきである、ということ。そして日本の美術をもっと活性化させる必要があるということです。1.と2は密接に結びついています。国際展は大勢のアーティストが参加します。ですから、広い場所を確保する必要がありました。各自治体からプロポーザルを受け、検討した結果、横浜市が一番現実的実現可能でした。こうして場所はかなり早い段階で横浜市に決定しました。主催は、国際交流基金、横浜市、NHK、朝日新聞。アーティスティックディレクター4人によって運営されることになりました。その時点で問題となったのは、「現代美術は人が入らない」ということです。今まででもアンディー・ウォーホール展の10万人が過去最高の数値です。かねてより私は国際展は、市民をアートにおいて啓発し、巻き込むことによって社会的求心力を持つことが絶対条件だと考えていました。当時、なんの根拠もなかったのですが、スケールメリットがあるから、絶対に人は入るんだということを繰り返し言い続けていました。会議を通じて20万人を目標とすることにしました。国際展は単なるアートではなく、科学、市民、他のジャンルを総合的に巻き込むことにしたい、という考えから「メガ・ウェーブ〜新たな総合に向けて」というなんとも分かるような分からないようなテーマに設定しました。また、折角アジアでやるのだから、アジアのアーティストを多く起用しようと考え、私が選んだアーティストは3分の2まではアジアのアーティストとなりました。補足として付け足すと、アジアの作家で、アジア以外に在住している作家ということを特に意識しました。
Q:国際展の使命とは?
建畠:定期的に開催される国際展であるからには、「カッティングエッジ」(最先端)であることは絶対です。そうでなかったら、定期的に国際展を催す必要はないと私は思っています。当時テーマを持つべきかどうかという議論がありましたが、私はノーコンセプトであることがテーマだということをかなり強く主張しました。カッティングエッジを強調し、アートという枠を超えた総合的な方向性を強く目指したかったということがあります。
Q当時開始直後にテロが起こりました。会期中にテロに関する作品を創るという話はなかったのですか?
建畠:テロは横浜トリエンナーレが開始した直後に起こりました。ですが、私は特にテロに関連した作品を作家に作ってもらうということは考えませんでした。しかし、テロに関連して、アーティストの時代を予見する力を間近に感じるエピソードはありました。アートは時代を予見することがあるということは時折耳にすることがあります。私自身そういったことは実際にあるんだと感じています。が、それは決して絶望に陥れるだけのことではない。アートは確かに、醜い現実の側面を暴いたり、この世の矛盾を表現するようなネガティブなものもありますが、私はどこか希望がないと、と思っています。
Q:アート・社会との繋がりに関して。
建畠:現在、アートの世界では、「芸術のための芸術」という考えが主流を占めているようなところがあります。歴史上で、芸術はいつも宗教や権力に結びついて発展してきました。それが近代に大きく転換し、「芸術のための芸術」という動きが主流を占めるようになりました。その転換によって、芸術はより純粋化したともいえます。しかし逆説的にアートは社会的効力を失いました。どういうことかというと、今まで教会、権力に結びついて存在したアートには根拠がある。しかし、ゴッホやセザンヌのように、単なるリンゴ、単なる妻の肖像を描くことには根拠はありません。しかし、芸術は社会の中にあるのだから、社会と渡り合う必要があるんです。美術館では芸術のための芸術は○です。しかし、それを国際展でやることは×です。そもそも優れたアートには時代の本質を捉える力があります。アーティストは誰よりも敏感に察知する力を持っているんです。アートが社会性を持つということは、アートをいう枠を飛び出し他の事象を結びついていく総合性が必要だと思います。横浜トリエンナーレはそのことが現実的に実現可能だと感じました。私は、世の中は前提として絶望だと感じることがあります。しかし、アートには救い、生きる力を与えるといった力があると思ってます。今、世の中は原理主義的考えかたによって他者の考えを受け入れないようなところがあります。
しかし、アートはコミュニケーションの手段。違う宗教、思想を持った人が一つの作品を見て、「美しい」と感じることができる。もちろん、それがアートのすべてとは感じません。もう少しいうと、私は国際展が主流の現状の流れに対しては否定的です。オールオアナッシングではないんです。静謐な部屋で向き合うような作品は国際展には向きません。国際展ではアーティストの作品が非常に限られてきます。一発勝負になってしまいます。現状は国際展が非常に重視されるようになっていますが、美術館の展示と国際展また、市民によるささやかな展覧会は共存可能だと感じています。国際展だけがすべてを決めてしまうような現在の流れは行き過ぎだと感じています。
Q:前回の観客動員数35万人という結果に対して
建畠:第1回目の35万人という結果に、「現代美術が受け入れられた」という人がいます。しかし、私はそれは違うと思う。35万人訪れた人が現代アートに興味を持ったから来たのではなくフェスティバルに来たんです。もちろん、その中の何人かが横浜トリエンナーレに来たことによって、現代アートに興味を持ったということはあるでしょう。それから、アーティストがボランティアと一緒になって作品を創ることによって刺激を受けたということはあるでしょう。しかし、それはやはり現代美術が即受け入れられたという結論には結びつかないと思います。それとは別に、継続してやっていくことは必要だと考えています。国際展が定期的に開催されるイコール時代の証明が蓄積されていくことだということです。たとえば、その当時、何が美しいと思われていたかというような美的感受性などが時代を反映する大きな蓄積だと考えるからです。
Q:横浜トリエンナーレの今後に期待すること。
建畠:まず、最大の条件は、誰がやることになろうと「カッティングエッジ」であることは絶対にはずせない。私は、いくつか国際展で美術館的な発想の企画展を見たことがありますが、それならこんな水膨れしたような規模でやるべきではないと、非常な反発を覚えました。 国際展は時代の最先端を紹介する使命があるんです。
それから、国際的な動向も含めて対話・交流の場になってほしいですね。
トリエンナーレは準備期間も含めて、非常に人を呼ぶ求心力があるんですから。
(感想)
広報チーム「はまことり」に今年9月から参加したものの、横浜トリエンナーレ2001を見逃した私にとって、当時の記録からたどる横浜トリエンナーレ2001はいつもぼんやりと遠い存在でした。横浜トリエンナーレ2001はその規模、集客数からいっても、相当大規模なアートの祭典であったんだということだけは、分かります。当時横浜で一体何が起こったか?関係者は何を感じ何を思ったか?終わってみて一体どういう動きがあったのか?輪郭をつかめないままに広報活動をしてきた私は、次第に当時の関係者に会って生の声を聞きたいと思うようなりました。
そんなとき、ふと、昨年、森美術館で行われたパブリックプログラムでコメンテーターを務められていた建畠晢さんが頭にうかびました。建畠晢さんは横浜トリエンナーレ2001でアーティスティックディレクターを務めました。そこで思い切って取材をお願いしたところ、快く快諾していただいたことから今回のインタビューが実現しました。
この日は、BankART1929にて多摩美術大学芸術学科建畠ゼミにより 催された『横浜会議2004−なぜ国際展か?-』シンポジウムの前のお忙しい時間を縫って建畠さんはインタビューに長時間にわたって答えていただきました。
本当にありがとうございました!(かねこ)
by hamatori
| 2004-12-21 23:07
| インタビュー

